現在、28歳の出岐氏は青学大のエースとして常勝軍団の礎を築いた。2年時には全日本大学駅伝で当時の早大エースだった大迫傑も含め、10人抜きを達成。
3年時には出雲駅伝でアンカーを務め、青学史上初の日本一に導いた。
また、大学時代に初マラソンに臨み、当時の学生歴代3位となる2時間10分2秒の好タイムをたたき出した。卒業後は中国電力の陸上部に入部。
将来的に、五輪でのメダルも期待されていた。
青学大で“山の神”と呼ばれた神野大地は、出岐氏が4年時に1年生だったが「青学史上最強ランナー。
間違いなくナンバーワンです」と断言。
原晋監督も「今まで見てきた中で彼は歴代最高レベルの天才。我がチームのスター1号」とうなずいた。
だが、出岐氏は実業団で大学時代のタイムも超えられず、25歳の若さで現役引退。
同世代の大迫や設楽悠太がマラソンで活躍する中、陸上界から姿を消してしまった。
出岐氏は早々と引退を決断した理由について「陸上に強い思いがなかった。走ることが単純作業で何が面白いの分からず、嫌いに。
きついことが耐えられなくて陸上を続けることができない」と告白。
練習で1カ月900キロ以上も走るストイックな環境に気持ちがついていかなくなり、「中途半端な気持ちでは会社に失礼だと思った」と引退を決断したことを明かした。
出岐氏は高校時代にサッカー部から陸上に転身。「元から陸上が好きではなかった。興味がなかった」というが、青学大では原晋監督の教えで実力が伸びていった。
半歩先の目標を与え、「ハッピー大作戦」などと選手のモチベーションを上げる原監督の指導法に、出岐氏も「監督の魔法にかかっていた」という。
中国電力の本社で営業担当。1児の父親。現在、青学大は大学駅伝界をけん引しているが「後輩が活躍してくれて自分から何か学んでくれて生かしてくれたのなら、頑張って来てよかった。
後悔なくやることができたと思っています」と笑顔を浮かべた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190104-00000057-dal-spo
1/4(金) 13:14配信