◆ [生活エッセイ]日本で感じたこと
歴史的に日本は私たち民族に多くの害を及ぼした。倭寇の略奪がそうだったし壬辰倭乱がそうだった。
韓国文化の影響を受けて国家が発展したにもかかわらず、彼らはいつも恩をあだで返してきた。
特に35年11カ月の植民地統治はぞっとする。
複数の弱小国家の数多くの女性たちを性奴隷にして獣のような行動を働いた過去は低質で醜雑な行動だった。
独立軍を捉えて押し切りで首を落とし、包丁で切った首を腰にさげて記念写真を撮ったり、妊婦を殺し協会の中に人々を集めて火を付けてすさまじく殺した。
彼らが私たちに行った行動は真に身震いする。
しかし、矛盾するようだが日本を旅行すると彼らの生活行動は習う点が多い。
まず親切だ。
本来、原爆投下予定地だった都市は武器庫がある小倉と広島、長崎、京都であった。
しかし、ある原子力委員が京都に投下するのを反対した。
彼は新婚旅行で京都に行き、日本人たちの親切に魅せられたのだった。
京都は日本古代文化があって保護しなければならないという理由だったが、彼の内部には日本人の親切に対する良い思い出が席を占めていたのだ。
それで京都地域の代りに1945年8月6日、広島が8月9日には長崎が原爆投下の悲劇の歴史を記録した。
商業的なのかもしれないが彼らはいつも微笑を失わずに人に接する。
二番目が清潔さだ。
日本のどの都市に行っても通りにゴミがない。
三番目は質素さだ。
食べ物は食べられる程度だけ器に入れる。
四番目が秩序だ。
慶州に修学旅行に来た日本の中学生が並べた履き物はただの一足も乱れがなく定規で測ったようにすべて秩序があった。
五つ目は老人のための働き口創出に努力する点だ。
高速道路に行けば年齢の人々が多く仕事をしている姿をたくさん見ることができる。
六番目は彼らの山林政策だ。
どの山も植林されその管理状態が美しい。
大部分が木材に使えるように育てている。
七番目は先生を信頼する父兄たちの心だ。
ある観光地を通り過ぎたらマイナス7度の天気にもかかわらず幼稚園児たちが半ズボンをはいて秩序整然と先生の引率で歩いていた。
どの父兄も抗議したり風邪をひかないか心配していなかった。
子供たちはおしゃべりしながら楽しく歩いていたし、父兄はみな、かけていく自分の子供たちを笑いながら見つめていた。
最後は他国と対抗する時に一つになる力だ。
どうしたら神風という名のもとに15〜21才の青少年たちが飛行機に乗って微笑を浮かべながら飛び立ったのだろうか?
相手国には敵だが日本の自分たちにとっては全て愛国戦死であった。
自分たちの国益のためにはみな固く団結する彼らの愛国民族愛精神は多くの分野でも明らかだ。
もちろん日本人たちも内部的に批判する点があって矛盾が多いが、悪い点は捨てれば良く、良い生活方式で国家と民族を離れて誰にでも習う点があるならば習わなければならないと思うので自分自身を反省する意味で何種類か書いてみた。
(写真)ヤン・スンボン(小説家)
http://www.kgnews.co.kr/news/photo/201901/539040_181291_595.jpg
京畿新聞(韓国語) 2019.01.27 18:57
http://www.kgnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=539040
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